2007年11月3日土曜日

vol.53 広告の質とは何なのか?

この問いは、永遠のテーマである。

わたしが現役の頃は、「広告は文化」であった。

政治はその国の国民の文化レベルを反映するというが、それと同じこと。その国の国民が作るものであり受け入れるものである以上、その国の国民のレベル以上のものは決して存在しない。

そう考えてみると、「広告の質」とは何かということが実に明快になってくる。


リスティング広告にはQSとQIという指標が存在する。QSはAdwords、QIはOvertureの「広告の質」の指標である。

いずれも、広告会社が自社内で査定して広告主の管理画面に表示される。広告主は、この指標を見て、何とかその評価を上げようと躍起になる。(評価が上がった広告は表示回数が増える=クリック数が増える)

2社が言う「広告の質」とは、CTRの高い広告=自社が儲かる広告である。

ところが、立場が変わると、「広告の質」は変わる。広告主にとって質の高い広告とは、CVRの高い広告=広告主が儲かる広告である。

また、実際にその広告の訴求対象である消費者から見ると、質の高い広告とは、商品購入時の情報となる広告=消費者が儲かる広告である。

すなわち、広告会社、広告主、消費者の3者は、相対立する関係にあることになる。ここに媒体が絡むと、4者の相反する利害が交錯することになる。(これに、広告代理店を加えると5者になる)

では、この4者に優先順位を付けるとするならば、どういう順番になるのだろうか?もちろん立場によってその順位は異なるわけだが、広告が経済活動の一環として実施されることを前提とすれば、以下の順番になるのではないだろうか?
1、消費者
2、広告主
3、媒体社
4、リスティング広告会社

つまり、社会的弱者順である。

ところが、現実の広告は、社会的強者順に実施されている。レガシーな広告の手法がリスティング広告にもそのまま導入されているのである。

しかし、不思議なことにインターネットの特性である「インタラクション」機能は、当初から一切リスティング広告には導入されていないのである。

広告の質の指標を勝手に決め、広告主に押し付け、消費者無視で暴走するリスティング広告。これが広告であるはずがない。

そう思っていたら、「発言権」を与えられない消費者の「声なき声」が爆発し始めた。広告をクリックしないという形で。もっとタチが悪いのは、広告はクリックしてもコンバージョンはしないという形で。

広告が「シカト」され始めたのである。

質の高い広告、それは消費者のリアクションを収集し、消費者のニーズを刺激するという広告の原点に返ることから始めるべきではないだろうか。

ソウダヒロシ プロフィール CONTACT

※懐かしのIT幕開け時代のブログ→ITトレンド2000

※食い物系のブログは→今日のメニュー2010

※環境系のブログは→環境トレンド2010

※進行中のプロジェクトのブログは→リンクアド・プロジェクト公式ブログ

0 件のコメント: